もみじ亭は築二百年の古民家を改築した祖谷そば店です。
改築にあたっては様々な障害がありました。一つは、建物自体が傾いていたということです。ところどころに筋交(すじかい)をつけて水平に戻しました。
もう一つ困難だったのは当時の建築様式と現代の建築技術をうまく融合させることです。もみじ亭のモットーは「昔からあるものを最大限に使う」ということ。
建物の要となる、梁や柱は出来るだけ当時の物を使うように配慮したり、古木を生かすために随所に接ぎ木を用いるなど細かい箇所までこだわりを持って改築されました。
このもみじ亭の改築にあたって最大の立役者が、山下憲二さんです。
山下さんの技術の中でも、特に目を見張る場所が屋根の曲線です。もみじ亭の屋根はよく見るとなだらかな曲線が描かれています。祖谷の民家の特徴として、曲線は非常に重要な部分です。※祖谷平家伝説で後述しています
曲線がきついと反り返った感じになるし、直線すぎると雰囲気が損なわれます。山下さんは、コツコツと調整しながらゆるやかな曲線を作り上げていきました。
天井だけでなく、机ひとつひとつも「木を活かす」というテーマに沿って製作されました。
中でも杉のソギ葺きは大変手間がかかり、現在ではあまり見られない技術が使われています。
製材を使うのではなく本物の木を贅沢に使いもみじ亭にマッチさせる。
本物の木のぬくもりを感じて下さい。
柔らかな光に照らされる、もみじ亭店内。
ショーン・ラムジー氏の行燈からやわらかな光が漏れています。
ショーン・ラムジー氏は、2002年に来日し東祖谷の日本家屋にアトリエを設立し、過去7年にわたりアジアにて創作活動を行ってきました。
手透きの紙と自然の材料を使った氏の光りの造形美は国内外を問わず、非常に高い評価を得ています。
日本古来のぬくもりとなごみ、空間を作り出す。それがショーン・ラムジーの世界です。
ラムジー氏はもみじ亭のコンセプトに共感し、行燈(あんどん)をプロデュースしました。
独立した平和な山深くでの生活に魅せられたラムジー氏は、個展“グラデーションズ”にて、忘れられた日本の一角での、一年を通しての体験を作品として表現します。
氏の立体造形は、移り変る四季、厳しい自然からの要素を含んだ作品となっており、同時にまた、祖谷の人々と自然との調和を持った暮らしに影響されたものでもあります。
ラムジー氏はこう語ります「昔ながらの礼儀を守り続ける純粋な人々の暮らしは、私の創作活動にも、また、私の人生自体にもすばらしい影響を与えてくれました。」と。
今から八〇〇有余年前(一一八五)讃岐(香川県)の屋島の源平合戦で敗れた平の国盛は、一族郎党を引き連れ祖谷に潜入し、再起を促した。
しかし願叶わず落武者として住みつき、平家村として今日に至ったことは古来から史実とみられ伝説として残されている。
秘境の地、祖谷山に点在する民家は子々孫々に引き継がれた歴史そのものであるのに文明文化の波に押し流されて失うことは平家村の一人として忍びがたく、もう一度たくさんの人々の心の中に残してもらうべく、この地に移築したのである。
もみじ亭は祖谷菅生(いやすげおい)の西家住宅で築後約二〇〇年三部屋併列型(表の間・中の間、うち)セイガイ造りで他にあまり類を見ない建物である。
積雪を考慮しての急勾配(傾斜)の茅葺屋根で室内は暖冬・涼夏で天井張りが無いため圧迫感がなく空間に開放感を与えてくれる。
昭和二〇年(一九四五)以前は三〇年~四〇年で屋根の葺替を行っていたが、現在は山頂まで植林され葺替茅の入手が困難なため茅葺屋根はトタンで巻いている。
また、もみじ亭に移築復元した水車小屋は、東祖谷村久保(部落)の民家約三〇戸が使用していたものである。
水車は、直径約二メートル、心木から放射線状にでているヤリ木が前後四八本あり、これをカバチでしめ、ヤイ板にハイ板を取り付けて、水うけに水をあて回転させる仕組みになっている。精米能力は、一日一臼で焼く三俵が普通とされている。
水車は山村住民の象徴ともなり、山深い清らかな谷川のほとりで年中休むことなくひたむきに働き続けてきたふるさとの母の面影をもしのぶことができるのではないでしょうか。
この建物を眺めると遥かなる平安末期の息吹を感知させられるように思われてなりません。
平家公達の子々孫々が暮らした三部屋併列型セイガイ造りのもみじ亭は本当に貴重な建物であるので後世に残したいものです。
元三好郡郷土史研究会員
元東祖谷文化財保護審議委員
元東祖谷教育委員長
竹本正一